わたじろー
あなたは、Twitterやテレビなどで話題になっている「親ガチャ」という言葉を聞いたことがありますか?
硬貨を入れてレバーをひねるとカプセル式のおもちゃが出てくる、ガチャガチャが元になっている言葉です。
わたじろー
おもちゃが無作為に出てくるシステムを、どんな親の元に生まれるかを自分で選ぶことができないことに例えたのが、親ガチャです。
どういう境遇に生まれるかは運任せ。
主に「親ガチャに外れた」というように、自分の希望どおりの親ではなく、運が悪かったという意味の使われ方をします。
最近、この親ガチャという言葉について賛否両論が生じています。
育ててくれた親に対して失礼です。使うべきではない言葉だと思います!
うまくいかないのを、人のせいにしている言葉だと思います
使う人の人間性を疑ってしまうような、軽い言葉です。
このように、親ガチャという言葉を否定する声も多くあります。
わたじろー
親ガチャという言葉は、そんなに悪い言葉なのでしょうか?
少なくとも、私はそうは思いません!
この記事では、今話題の言葉である親ガチャについてまとめてみました。
・親ガチャを批判する人に欠如した3つの視点
・親ガチャに失敗したと感じたらどうするか
・親ガチャを批判する人に対して伝えたいこと
記事の最後では、親ガチャという言葉を批判する人に、私の個人的な見解もお伝えします。
わたじろー
少し過激な発言になります。
ただ、NPOの運営や行政職員として、実際につらい思いをしてきた人たちと長年接してきた私が率直に思うことです。
このページの目次
わたじろー
教育分野において、「1億総評論家時代」という言葉があります。
教育を受けたことがない人はいません。
そのため、専門家ではない人でも、自分の経験に基づいて話すことができることからできた言葉です。
財政政策や経済政策の分野では、自分の個人的な体験に基づいて話す政治家や専門家はほとんどいません。
しかし、教育分野になると、「私の経験から述べさせてもらう」というような、主観的な主張が一種の真理のように語られることが多いです。
わたじろー
教育分野で重要視すべきなのは、たった一人の個人体験ではありません。
人の成長にはあまりにも多くの要因が絡むので、その人がうまくいったからといって、他の人が同じようにうまくいく保証はどこにもありません。
だからこそ、無数の個人の体験を観察することにより、規則性を見出すことが必要になってきます。
わたじろー
親ガチャにおいても、自分の感想や体験談のみで語る人が、非常に多いと感じています。
自分だけの意見として完結するなら良いのですが。
自分の一例を絶対の真理のように考え、人に押し付ける人が多いように感じます。
わたじろー
親ガチャを批判する人たちが、見過ごしている視点について解説します!
①経済的視点の欠如
②環境的視点の欠如
③遺伝的視点の欠如
わたじろー
それぞれの視点について、解説していきますね。
わたじろー
良い大学に入ること。
つまり学歴の差は、本人の努力が主な要因とまではいえません。
なぜなら、学力に最も大きな影響を与える要因は、親の年収と学歴だからです。
この事実はいくつもの研究で明らかになっていると、教育経済学者の中室牧子氏は著書の『「学力の」経済学」』で主張しています。
わたじろー
実際、文部科学省が実施した「学生生活実態調査」によれば、東大生の親世帯の平均年収は約1,000万円です。
これは、給与所得者1人あたりの平均年収400万程度、2人以上の勤労世帯の平均年収が600万程度であることからも、突出して高いことが分かります。
塾には通っていたけど、家庭教師はつけてもらえませんでした。
そんなに周りの人と比べて、お金をかけてもらったとは思えないのですが...。
わたじろー
塾の費用が高くて通わせてもらえない子どもは、たくさんいますよ。
恵まれた人は、それが自分にとっての当たり前であり、自身が恵まれた環境にあることに気付いていないことが多いです。
わたじろー
実際、全国一斉学力テストの平均点は親の年収と相関関係にあります。
これは、子どもの勉強時間との相関度よりも高いんです。
つまり、子どもが努力した結果である勉強時間よりも、親の年収の方が、テストで良い点をとる上では大事な要因であるということです。
わたじろー
ただ親の年収が高いと子どもの学力が上がるという背景には、次に解説する環境要因が大きく関わってきます。
わたじろー
これは、勉強できる環境が当たり前だった人の意見ですね。
頑張ることのできる環境があること、勉強する時間があること、それ自体が恵まれた状況です。
なぜなら、本当に勉強ができない環境にいる人もたくさんいるからです。
わたじろー
親からの虐待を受けている子どもや、ヤングケアラーと呼ばれる親族の介護をしなければならない子どももいます。
そのような状況にいる子どもが、まともに勉強することができるのでしょうか?
そのような状況の人が勉強をしないのは、その子の自己責任なのでしょうか。
子どもはそうかもしれないけど、大人になってからは自己責任ではないでしょうか?
わたじろー
大人になってからも、実質的に頑張ることが不可能な状況に陥っている人はたくさんいますよ!
家族の介護で日々生きるのが精一杯な人、大人になってからも親に搾取されている人、健康面で学ぶ時間がとれない状況の人。
子どものときの延長線上で、学ぶ時間が取れない人も多くいます。
でも、介護等をしていない人なら時間はとれるのでは?
勉強する時間があるのに、勉強しないという選択をしているのはその人でしょう?
私は、大人の貧困は自己責任だと思いますが。
わたじろー
選択肢は、全ての人に同じものが与えられているわけではありません。
アジア初のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、その人の能力を考慮する必要があると主張しています。
わたじろー
きちんと教育を受けてきた人が、たまたま一文無しになった場合を想像してみてください。
その人に100万円を渡せば、そのお金を元手に生活を立て直すことができると思います。
しかし、教育を受けていない人に100万円を渡しても、そのお金を有効活用できず浪費してしまう可能性が高いです。
例えば、渡された100万円を増やす手段として、就職活動や必要なスキルを身につけるという選択肢が思いつく人もいれば、ギャンブルをして増やすという選択肢しか思いつかない人もいます。
わたじろー
ギャンブルにつぎ込んで負ければ、それは浪費です。
しかし、浪費をする選択肢しか思いつかず、それを選ぶしかなかった人もいます。
自己責任と考えるには、「選べたのに選ばなかった」という状況である必要があります。
そもそも選択できなかったのに、それを自己責任とするのは、その人にとって酷ですよね。
必要な教育や学びを受けることができなかったために、どう行動したらいいか分からず、途方に暮れる人は多いです。
そのような人には、こちらから手を差し伸べることが必要です。
わたじろー
しかし、日本の行政は、相手方からの要望がなければ動けない申請主義を基本としています。
実際、私が公務員の職員として働いていたときも、申請がないばかりに何度も悔しい思いをしました。
自分から要望を出せない人がいることを、忘れてはならないと感じています。
たしかにそう考えると、安易に自己責任という言葉で片付けるのはよくないですね。
話は変わりますが、勉強できる環境以外にも影響を与える環境ってあるんですか?
わたじろー
色々ありますが、影響が大きいと言われているのは次の3つです。
①親の学歴
②親の期待や関心
③親からの教育
それぞれ、解説していきますね。
わたじろー
子どもの学力は、親の学歴に大きな影響を受けます。
前述したとおり、子どもの学力に最も大きな影響を与える要因は親の年収と学歴だからです。
実際に、社会階層と社会移動(SSM)調査研究会の調査でも、父親の学歴と子どもの学歴は大きく関係していると結論づけられています。
例えば、父親が中卒の場合、子どもが大卒である割合はわずか14%です。
他方、父親が大卒の場合、その子どもが大卒である割合は66%です。
親の学歴によって、大学まで卒業できるかどうかが50%くらい変わってきます。
わたじろー
これは、親が教育に重きをおいていなかったことが関係しています。
親が教育の重要性が分かっていなかったために、子どもも教育の重要性を感じられなかったというケースはよくあります。
親が教育を重要と考えているならば、その子どもは自然と教育を重要なものと考え、自主的に学ぶことが多くなります。
わたじろー
親の子どもに対する期待や関心は、子どもの学力に影響を与えます。
子どもの能力に大きな影響を与える心理に「ピグマリオン効果」というものがあります。
親が子どもに期待や関心を持つことで、その子どもが勉強や活動で成果を出しやすくなるというものです。
この逆に、親から無関心な対応をされたり、暴言を言われ続けることによって、その子のパフォーマンスが下がることを「ゴーレム効果」といいます。
わたじろー
期待される子どもにはプラスの効果が働き、期待されない子どもにはマイナスの効果が働く。
これでは、成果に差がつくのは当たり前ですよね!
わたじろー
子どものときに受けた教育の効果は、成人してからも残ります。
ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授らは、教育にお金をかけた場合に最も効果があるのは、幼児の時期の教育であると述べています。
つまり、幼児教育にお金をかけると、成人した後に、お金をかけなかった場合に比べて年収が高い人になります。
わたじろー
このことを知っていると、大人だから全て自己責任という言葉で片付けるのは、乱暴な発言だと気づくと思います。
わたじろー
そうとはいい切れません!
努力できるかどうかにも、遺伝は大きく関係しているからです。
最近売れている橘玲氏の著書である「無理ゲー社会」において、努力できるかは、遺伝に大きく左右されることが主張されています。
それによると、「集中力」や「やる気」といった努力面の半分程度は、遺伝によるものだということです。
遺伝的要因が強いとよく言われる「記憶力」や「計算力」といった才能面も、半分程度です。
つまり、才能と同程度に、努力できる力も遺伝に左右されます。
半分しか影響しないなら、やっぱり本人の努力次第なのではないでしょうか?
わたじろー
半分も影響すると考えてください。
なぜなら「あることを自分が得意になれるかどうか」は「他の人と比べて得意かどうか」に大きく影響を受けるからです。
わずかな差でもいいので、一度成功体験を得られた人は、それ以降は自主的に頑張って成果を出せる確率が大幅にアップします。
例えば、学年1位をとれた生徒はもう一度1位をとるために、さらに勉強を頑張ることができる。
というのはイメージしやすいのではないでしょうか。
目に見えた成功体験を得ることは、非常に重要なんです!
わたじろー
人は周りより成果を出せるものには、自主的に取り組むことができます。
そのため、最初はわずかな差でも、続けるうちに大きな差になっていきます。
逆に言えば、最初の段階において半分というのは、非常に大きな数値であるということです。
わたじろー
親ガチャに失敗したから終わりではなく、その現状を受け止めた上でどう行動するかが重要です。
ありきたりな言葉ですが、現状をなげいていても、何も変わりません。
変えられないことを受けいれた上で、変えられる部分を変えていく。
そのように前向きに考える必要があります。
わたじろー
具体的には、親が遺伝や環境で与えてくれなかったのであれば、自分で成長できる環境を作り出すことです。
頑張れる環境を自分で作ったり、自分を成長させてくれる仕事やコミュニティに参加するなどもいいでしょう。
遺伝や環境で多くが決まるとしても、それで全てが決まるわけではありません。
レールがないので、人より苦労をする道になると思いますが、自分で未来を切りひらくというのも楽しいですよ。
わたじろー
ただ、辛くてどうしようもないときは、ためらわずに親ガチャという言葉を使ってくださいね。
周りから、それは言い訳だよと言われても、それを決めるのは相手じゃありません。
なぜなら、相手は、自分の全てを知っているわけではありませんよね。
自分を大切にして、無理しすぎないようにしてくださいね。
わたじろー
日本人は我慢をしがちなので、もう少し自分の弱みを見せてもいいと思います。
弱みを見せることで、楽になることは多いですよ。
それは分かりますが...。
無条件に愛情をそそいできた我が子から「親ガチャ外れたー」と言われる親の気持ちも考慮すべきではないですか?
そんなことを言う子ども側も悪いと思いますが。
わたじろー
無条件に愛されているのは子どもではなく、親のほうですよ。
どれだけひどいことをされても、親が大好きで嫌いになれない子どもはたくさんいますから。
まずは、その事実をきちんと認識することは大切です。
その上で、もし子どもが本気で親ガチャに外れたと言っているなら。
わたじろー
親の気持ちを考慮して子どもを否定する前に、親側が自分自身の言動を振り返るきっかけにしてほしいと私は思います。
最後に、私の個人的見解をお伝えします。
私は行政職員として10年間働き、NPO活動も長くやっていました。
わたじろー
そこで感じていたのは、周りに相談や助けを求められずに辛い思いをしている人が、とても多いことです。
少しでもいいのでサインを出してもらわないと、こちらも気づけません。
手を差し伸べることもできません。
誰にも助けを求めることができず、その辛さを一人で抱えたまま自殺をしてしまう人もいます。
わたじろー
その人たちが、SOSを出すきっかけを奪わないでほしいです。
親ガチャという言葉は、親に対して失礼だから使うべきではないという意見があります。
誰の親に対しての、失礼なのでしょうか?
その人の親にとって失礼かどうかは、他人が決めることではないはずです。
わたじろー
「親ガチャ」という言葉を気にしない親もいます。
逆にそれを楽しんで、子どもとコミュニケーションをとる親もいます。
抽象的な親を勝手に押し付けて、つらい思いをしている具体的な誰かの助けを求めるきっかけを奪うのはやめてほしいと感じています。
たしかにそうかもしれないですね。
ほかにも、軽い言葉で好きにはなれないという意見がありますが...。
わたじろー
差別用語など、使ってはいけない言葉はあります。
でもそうでないなら、軽い言葉だからこそいいのではないかと思っています。
なぜなら、軽い言葉でないと、言葉にできない人は多くいるからです。
軽い言葉だからこそ、サラッとSOSを出しやすい。
これが「虐待を受けているんだー」とかだったら、すごく重たい話になってしまいます。
親に対する言葉で「毒親」という言葉があります。
この言葉も「育ててもらった親に”毒”をつけるなんてけしからん」と批判がありました。
わたじろー
でもその言葉が広まったおかげで、自分だけの責任ではなく、親にも原因があるのかもと救われた人もいるんです。
自己責任という都合の良い言葉を押し付けられて、押しつぶされてしまった人を私は何人も見てきました。
現代は、様々な考え方が許容される多様性のある社会です。
表面的な言葉を切り取り、自分の考えを世間一般の常識と考え、けしからんと全ての物事を同一に判断しようとする。
それはおごりであり、それこそけしからんことだと私は思います。
わたじろー
2ちゃんねるの開設者であるひろゆきさんも「親ガチャという言葉を良くないとか言ってるのは、恵まれた環境で育った人の驕りだと思う」と言っています。
令和2年度は、児童相談所の児童虐待対応件数は20万5029件、過去最多。
— ひろゆき, Hiroyuki Nishimura (@hirox246)September 12, 2021
子供は減ってるのに、児童虐待が増えてるわけです。
ひどい親がいる現実をほっといて「親ガチャ」という言葉を使うのは良くないとか言ってるのは、恵まれた環境で育った人の驕りだと思うおいらです。https://t.co/SgJ0TB9qpM
わたじろー
親ガチャという言葉で救われるかもしれない、今まさに辛い思いをしている人がいるということ。
それは、ぜひ知ってもらいたいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
今回の記事のポイントは、次のとおりです。
①親ガチャを批判する人に欠如した3つの視点
経済的・環境的・遺伝的なものから、私たちは大きく影響を受けます。
全てを自己責任だと突き放し、甘えだとかで断罪するのは、あまりにも想像力や配慮に欠けると感じます。
②親ガチャに失敗したと感じたらどうするか
環境を変えていきましょう。
親からの影響は大きいですが、全てではありません。
③親ガチャを批判する人に対して思うこと
デメリットよりもメリットに目を向けましょう。
親ガチャという言葉でら救われる人もいます。
同じだけ努力をしても、同じ成果は出ないということが現代では明らかになっています。
親の年収が低いから子どもの年収が低い。親の学歴が低いから子どもの学歴が低い。
わたじろー
親の貧困を、子どもに連鎖させてはいけません。
そのためには、社会で支える仕組みも必要です。
親ガチャという新たな言葉から見えてくることは多いです。
わたじろー
自分の常識を一方的に押し付けて批判するのではなく、相手の状況にも配慮した議論ができる社会になるといいですね。
生まれも育ちも神奈川県。元県庁職員。
これまで観た映画の本数は3,000本以上。多いときには1日10本映画鑑賞するタフガイ。
「公務員を辞めた理由は、映画を観たかったからでは?」とうわさされるくらいの映画好き。
実際の退職理由は、自由な立場から社会福祉や介護の分野に貢献するため。
教員免許所有。