4月10日、プロ野球が始まって以来16人目の快挙である完全試合を成し遂げた佐々木投手。
完全試合のニュースに対し、メジャーリーガーの「大谷翔平選手」や「ダルビッシュ有投手」も高く評価。
しかし、そんな華々しいい成績と裏腹に壮絶な過去があったことをご存じでしょうか?
佐々木投手の生まれは岩手県陸前高田市。
そう、佐々木投手は”東日本大震災”の被害を一番受けた一人なのです。
震災以外にも、中学・高校では、一番活躍したい試合で、マウンドに上がることはできませんでした。
特に、甲子園をかけた岩手県大会の決勝で”佐々木投手が登板しなかった”というニュースは連日メディアで話題になりました。
そんな、波乱万丈な佐々木投手の壮絶な過去について紹介します。
このページの目次
佐々木投手の波乱万丈の過去を知る前に、4月10日の完全試合がどれだけ凄かったのかを紹介!!
「凄すぎますよ。13者連続、19奪三振。3ボールも一回だけ。誰もができることではない。凄すぎる。僕もできることなら(完全試合を)やってみたいけど、なかなかできることじゃない。彼は投手として僕よりもすごいかもしれない。」
-大谷翔平選手-
「今日の状態だとメジャーに来ても同じようなピッチングができていると思います」
-ダルビッシュ有投手-
現役のメジャーリーガーの2人も佐々木投手の偉業を評価していることが分かると思います。
また、海外メディアでも以下のように報じられている。
「米国の野球ファンが眠っている間に、日本の天才がスポーツ紙に残る驚異的な投球を披露した」
-米スポーツ専門メディア「THESCORE」-
「まるでハリウッド映画のようだ。ロウキ・ササキの信じられない人生。津波を生き延び史上最高の試合の一つを演じる」
-スペインのスポーツ紙 「」-
野球がメジャースポーツのアメリカはまだしも、マイナーなヨーロッパで紹介されたことに大きな価値があるのではないかと思います。
では、世界中が注目している佐々木投手の壮大な過去とはどのようなものだったのでしょうか?
佐々木投手の生まれは岩手県陸前高田市。
兄の影響で小学3年生のときに野球を始めました。
地元の野球チームに所属していており、練習が休みの日も家の庭で、兄と父と3人で練習をしていたそうです。
佐々木投手の父親は、町内会の夏祭りでリーダーをするなど、人望の厚い人で、そんな父から「朗希は凄いピッチャーになる」と言われていたそうです!!
しかし、佐々木投手が野球を始めて間もないころある事件が起こります。
それが2011年3月11日に発生した東日本大震災。
地震発生当時、小学校にいた佐々木選手は高台に避難し、兄弟とお母さんには再会することができました。
しかし、佐々木投手の自宅は津波で流されてしまい、父親と祖父母も津波に巻き込まれてしまいまったのです。
当たり前の日常が一瞬でなくなった震災が、どれだけ大きな悲しみを与えたか想像できない人はいないでしょう。
2021年3月11日(震災から10年)、当時のことを振り返ってインタビューにこのように応えていました。
「10年前の僕はたくさんの人から支えられ、勇気や希望をもらいながら頑張ることしかできなかった。
今はその時とは違う立場にいる。今年はたくさん投げて、たくさんの人に勇気や希望を届けることができるように頑張りたい」
-佐々木朗希 投手-
中学生となった佐々木投手は大船渡市立第一中学校に進学し、軟式野球部に所属しました。
中学入学当初から球速が120キロ前後あり、中学3年生の時には140キロまで伸びていたそうです。
中学3年生で140キロ。。。
高校生でもなかなか出せない球速だよね。。。
しかし、ここでも悲劇が襲います。
入学当初から20センチ近く身長が伸びたことが原因で、成長痛を患い、疲労骨折。
その結果、担当医にとめられ、中学生の時に目標としていた大会で投げることはできませんでした。
佐々木投手
実は、この時も野球を辞めよか悩んでいたんです。
それだけ試合で投げたかった。。
中学校3年生で140キロのボールを投げていた佐々木投手。
当然ですが、全国の強豪校からスカウトが来ていました。
大谷選手の在籍した「花巻東高校」や、高校野球屈指の強豪校「大阪桐蔭高校」からもスカウトされていたという噂もあります!
それだけの能力を持っているから不思議ではないですよね!
しかし、佐々木投手は強豪校の誘いを断り、地元の大船渡高校に進学することを決意しました。
中学の野球が楽しくて、その仲間と一緒に甲子園を目指したい。
-佐々木朗希 投手-
これが大船渡高校に決めた理由だったそうです。
「野球はもちろん、仲間を大切にする人柄」なんだと感じました!
高校生になった佐々木投手も順調に球速を伸ばし、高校日本代表の研修合宿では非公式ではありますが高校生最速の163キロをマークしました。
佐々木投手
『令和の怪物』と言われるようになったのはこの頃からだったと思います!
そんな令和の怪物にまたもや事件が起こります。
それが、高校最後の甲子園をかけた岩手県大会決勝。
決勝の相手は、強豪の花巻東高校!!
誰もが注目のこの試合で、佐々木投手はマウンドに上がることはありませんでした。
結果、2対12で敗北。甲子園に出場する夢は叶いませんでした。
このことに対し、大船渡高校に苦情が殺到。2日で約250件の電話があったそうです。
試合後の監督のインタビューでは、
「投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断した。(理由は)故障を防ぐためです」
-大船渡高校 国保監督-
と話されていました。
良い悪いの判断は、人それぞれにあるかと思いますが、今の活躍を見ると監督の英断であったのではないかと、私は思います。
この試合はメディアに社会問題として取り上げられ、高校野球の連投問題や球数制限を考え直す機会を与えました。
高校野球の連投問題や球数制限は、ずっと問題視されていました。
これまでの高校野球の在り方を考え直すきっかけになったのです。
その後、高校での活躍を評価された佐々木投手は「日本ハム」「ロッテ」「楽天」「西武」の4球団から1位指名を受け、ロッテに入団することになりました。
余談ですが、佐々木投手の背番号17には”170キロを目指して欲しい”という球団の期待が込められているそうですよ!
プロ1年目は、1軍に在籍していましたが、試合に出場することはありませんでした。
しかし、2年目は11試合に登板し3勝を収め、クライマックスシリーズでもチームの勝利に貢献しています。
そして、今年!!
既に2勝しており、10日の完全試合、17日も8回までパーフェクトピッチング。
誰もが驚く結果を残しています。
4月10日の完全試合後には、海を渡ってアメリカでも話題となり、ロサンゼルスタイムズでは”ネクストオオタニ”と伝えられているそうです。
どれだけ、アメリカでも評価されているかが伺えます。
佐々木投手は壮絶な過去を経験し、今現在に至っていました。
「東日本大震災」「父親との別れ」「故障による登板回避」など、どれだけ大変な想いをしたのか計り知れません。
「10年前の僕はたくさんの人から支えられ、勇気や希望をもらいながら頑張ることしかできなかった今はその時とは違う立場にいる今年はたくさん投げて、たくさんの人に勇気や希望を届けることができるように頑張りたい」
-佐々木朗希 投手-
しかし、今はこの言葉通り、たくさんの人に希望を届けています。
Goki
僕も佐々木投手のことを調べているうちに勇気をもらいました!!
これからの活躍に期待せずにはいられません!!
シーズンは始まったばかりですが、これからどんな投球を披露してくれるのか!
佐々木投手の今後の活躍から目が離せません!